住職は結婚に対してどのように考えておられますか?

住職の人生相談コーナー

・・・なんでも質問箱に寄せられた「人生相談」
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目からうろこの回答があるかもしれません・・・

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遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧・気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/


◎お墓とかお葬式とかやった方がいいのでしょうか。

念仏修行をされていない方なら、お葬式などは慣習ですし、された方が
後々気分的に良ろしいのではないかと思います。
念仏修行をされている方なら、霊的世界では“往けてる”ので、あえて特に必要と僕的には思いませんが。


◎結婚はとても世俗的な形式のように思いますが、住職は結婚に対してどのように考えておられますか。

お互いにとって結婚は、下座と利他の修行です。
これに、懺悔と感謝が加われば、修行としては言うことなしですね。
結婚という形態を取らず、都合の良いときだけ付き合うというのであれば、修行になりません。


◎パイロットの腕にもよりますが、もし、零戦とドイツのメッサーシュミットが戦っていたら、どちらが勝っていたと思いますか?

ゼロ戦は、武士の立ち回りのような戦法が得意だったし、メッサーシュミットは、
騎士が槍で突っ込んで来るような、一撃離脱が得意でした。それぞれの文化的
背景が特徴になっているところが面白いですね。

さて、両方と闘ったことのあるのは、イギリスを代表する戦闘機、スピット
ファイアーです。
だから、スピットファイアーとの実力差で推し量ることに
するというのはどうでしょうか?
大戦初期にあった英本土航空戦(バトル・オブ・ブリテン)で、ドイツのメッ
サーシュミットとスピットファイアーの闘いは、ほぼ互角でしたね。
メッサーシュミットがやや分が悪かったのは、航続距離が短いのでロンドン上空
では15分しか闘えない、という不利さがあったからだと思います。

これに対して初期のゼロ戦は、東南アジアで闘ったスピットファイアーに対して、圧倒的な強さを発揮しました。
当時、ゼロ戦はほぼ無敵で、スピットファイアーは全く敵わなかった。
したがって、大戦初期であれば、ゼロ戦に軍配が上がっていたと思います。
でもまあ、実際やってみなきゃわかんないか、、、。
いやー、楽しい質問でしたねー。今度飲みに行きましょうよ。(笑)


◎ちょっとした事で直ぐに傷付き、ダメージを受け、しばらく苦しみます。
例えば、ネット上のちょっとしたやりとりや、外で自動車にクラクションを鳴らされたり、と。
上手く言語化出来ず、モヤモヤした感情が心のなかに残り、スッキリしません。どうしたらよいでしょうか?

人に何か言われて傷つくと言うのは、それによって、さらに自分で自分を
傷つけるから傷つくわけです。
例えば、自分のことを超イケメン!と思っている人は、人に「この醜男!」と言われても、相手を「何に言ってるんだろう、この人?」と思うだけで、自分は傷つかないですからね。
醜男呼ばわりされて、「ああ、やっぱり自分は、、、」と思ってしまうから傷つくわけです。

人に何かイヤなことを言われることで自分を傷つけるのは、子どもの頃からの習慣を引きずっているのです。
というのは、子どもの頃は、何か親に否定的なことを言われると、基本的に子どもは親の判断で生きているので、「自分はそうなんだ」と認めざるを得ないからです。

かくいう僕も、超傷つき易い人間だったのですが、いつの間にか変わりました。
もちろん今でも傷つくことはあるんですが、今は、自分の善意が相手に理解されなかったり、否定されたりした時です。
それはあくまでも、自分のため、というよりも、相手のために傷つくという、利他的な想いの結果受ける傷なので、その痛みは、自分にとってネガティブな働きはしません。

僕が、自分のために傷つくことがあまりなくなったのは、自分の本当の親が、宇宙大霊の阿弥陀さまであるという実感を得たときからです。
肉親に対しては、「あの人は親だ」という感覚みたいなものが、だんだん抜けていってしまいました。そして、それと平行して、対人的な傷つき易さからも、つまり妄想的に自分を傷つけることから、ずい分と解放されたように思います。
僕の場合は、念仏信仰によって、大霊の阿弥陀如来こそが本当の親だという感覚に
なり、その結果、傷つき易さから解放されたように思います。
大変申し訳ないのですが、自分の経験上、それ以外の他の方法を知らないので、
これ以上、申し上げることができません、、、。


◎自分自身を愛するのが難しくて困っています。すべき行動や心がけがあるのであれば是非知りたいです。

自分を愛せないと人も愛せないし、仏さまも愛せないでしょうね。
逆を言えば、「仏さまを愛することができれば、人も愛せるし、ひいては自分のことも愛せるようになります」(自他一切を含むのが、仏さまなので)。
僕は人に対して、「XXのような行動や心がけをすべき」だ、と言いたくないので、
上記のような返答になりました。


◎周りに気を使い過ぎてしまうのか、「いい人」になってしまいます。
そのために人との付き合い方が広く浅くなりますが、エネルギーをとても使っている事が多いと感じています。
自然体で人と世の中と深く付き合うにはどうしたらいいのでしょうか?
自然体の自分てなんなんだかよくわかりません。
心のブロックがたくさんあるのか、心の底から込み上げてくるような感情も薄れています。

人に好かれなくてもいいや、と思えるような充実した生き方をしたら、解放されるのでしょうね。
逆に言うと、人に「いい人」と思われるように振る舞いながら、充実した人生は送れません。
充実した生き方については、ご自分でお探し下さい。
本当に真摯な気持であり、また骨惜しみすることがなければ、さらにその上で本物とニセモノをかぎ分ける嗅覚があれば、真の道に出会うことでしょう。


◎前回の「なんでも質問箱」の回答の中で、権力者のネガティブな行為は、私たち人類全体のカルマを背負って、「私たちの代理として」行われているもの…と、仰っていました。
そう考えると、ネガティブな行為を行う権力者達は、(もちろん無意識的にではありますが)人類全体の為に、影の部分を体現するという、大変な役割を引き受けてくれている、とも理解出来ます。
であるとすると、彼らこそ、人類から愛を注がれるべき存在、という事になりますか?
又、りょうきゅう先生は、彼らに愛を注がれますか?

人類が愛を注ぐべき人は、愛を必要としている人であって、本人が引き受けている
役割とは関係ありません。まずは、イエス様がおっしゃったように、目の前にいる、
あなたの愛を必要としている隣人に愛を注いで下さい。僕もそうするように努力します。