自分の意見がなく、どうしたらいいかわからないのです

住職の人生相談コーナー

・・・なんでも質問箱に寄せられた「人生相談」
ここに、あなたと同じ悩みがあるかもしれません
目からうろこの回答があるかもしれません・・・

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遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧・気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/


◎母親の言った意見を自分の意見にして、母親のいう事が正しいと思って生きてきました。
自分の意見がなく、どうしたらいいかわからないのです。

今でもお母様のいうことが正しいと思っているなら、問題なんじゃ
ないですか?
それでも、お母様の言うことで正しくないと思うことがあったら、自分が正しいと思うことをやれば良いのです(ただし、必ず反対されるだろうから、お母様には必ず内緒で)。
この“内緒でやる”というところがポイントですよ。


◎不安が次から次へと出てきて心が苦しい時、どうしたら乗り越えられますか。

不安の内容と、それが何を象徴しているかによるから、もう少しお話しを聞いてみないと何とも言えないのですが、たとえば僕自身も不安だらけでした。
16、17才の頃の僕は、家出していて、窓を開けるのも不安、ということがありました。

僕の場合のそれは、きっと世間の思い込みから自分を自由にすること
への不安だったんでしょうね。世間は不安を煽ることで成り立っています
から。“オマエ、しっかり学校に行かないと、この先生きていけんぞ”
とかね。
そんなのは一例で、僕も子どもの頃から不安が星の数ほど次々にやって来て、さんざん苦しみました。
原因不明の不安でない限り、不安を乗り越える方法の1つは、それを実際にやってみることです(高校辞めるのって、落ちこぼれるみたいで不安だったけど、実際、辞めてみたら大したことなかったです)。

得体の知れない不安だったら、不安に「てめー、何が言いたいんだよ」と聞いてみて下さい。きっと、これはあなたにとっては、人生における禅の「公案」(師匠が弟子に授ける「問い」)だと思うから。
ご質問が抽象的だったので、抽象的な答えしかできませんが、、。


◎神さまと仏さまの違いを教えてください。

どっちの神さまのことですか? 神道の? それともキリスト教の?
キリスト教でしたら、唯一神ですから、宇宙大霊で阿弥陀様の別名です。
神道だったら、仏様の在(ましま)すお浄土界より下位にある、天上界の神々のことです。

もしご自分のお仕事を身過ぎ世過ぎのためにやっていれば、タオ療法をやろうと何をやろうと、それは身過ぎ世過ぎのためになるのではないでしょうか? 


◎お念仏をしていると、手のひらから何かシャーっと気のようなものがでているのを感じることがありますが、これは何ですか?
なぜ、このようなことが起こるのですか?

わかりません。考えるよりも、もっと修行されたらいかがですか?


◎友人の女性のことです。
彼女は学生の頃から成績もよく結婚後も出産後も仕事をバリバリこなしています。
ただ家事の出来ない主婦です。
「部屋を片付けられない子供カルマ」と関係あるのでしょうか?

「部屋を片付けられない子供カルマ」というものを僕は知らないので、
何とも言えません。
そういえば、篠田節子の小説に、モロそんな感じの女性が主人公になっているのがありました。
その主人公は、とても可愛らしくチャーミングに描かれていましたね。
だから、ついそのイメージを重ねてしまうのですが、旦那さんが文句を言いながらも、まあしょうがないか、とか思っているなら、ハタがとやかく考えなくて良いのではないでしょうか?


◎私は子供の頃から母親に精神的虐待を受けて育ち、10代後半には、何度か手首を切ったりしました。
また、結婚後はずっと、夫のたび重なる浮気や暴言、暴力、または無視されるなど、苦しい日々が続いています。
娘を授かりましたが、夫は自分をかまってもらえなくなったのが許せないと、ますます態度が悪化し、私はうつ病を発症しました。
その後、事務のパートで働き出しましたが、病気の影響で外出が怖くなることがあり、結局は辞めてしまうことを2回繰り返し、まわりに迷惑をかけてしまいました。
娘がまだ学生なので、今は子育てが一番の仕事と思い、自殺を考えることはありませんが、私は夫からも社会からも必要とされない人間、生きている価値が無い、という思いがいつも頭にあります。
人間が生まれて生きていくことには、どんな意味があるのでしょうか。

この場合、生きている意味には、2通りがあります。
1)周囲のエゴに押し付けられた、犠牲者的役割を果たす。
2)その役割をぶっ壊し、生きている意味を自分自身で創り出す。

どうやら、これまでのあなたは、「周囲に“自分には価値がない”と思わされる」という役割を果たして来たようですね。
それがどのような役割かというと、あなたがそう思ってくれている限り、あなたの周囲の人は、“自分には価値がない”と思わずに済む、という役割です。
それで、あなたがそう思わざるを得ない状況になってしまう行動を、彼らは無意識に取るのです。
で、あなたは、周囲の犠牲という役割を全うして生きたいのか?
それとも2)で生きたいのかですね。2)で行くとなったら、周囲からの抵抗も大きいですよ。
あなたが周囲の無意識の要求に応えなくなったら、ご主人やお母さんが病気になったりすることすらあります。
あなたに向けていたネガティブなエネルギーが、自分自身に向かうようになるので。

あなたが、「もう人のカルマの犠牲になって生きるのはイヤだ。
自分の人生を良きものとして全うするんだ」という決意が強くあれば、それをも乗り超えて、2)で行くでしょうし、そうでなければ、1)で甘んじるより他はないでしょう。
内田春菊さんなんかは、見事に、1)から2)に行ったタイプですね。

さて、あなたはどっちなのでしょう? 僕個人は、あなたには2)で
行って欲しいですが、どうしろ、なんて僕には言えません。
あなたの人生です。周囲の犠牲になるにしろ、周囲を乗り越えて行くにしろ、決めるのはあなた自身。それ以外の何びともいないのですから。