第二十五回 “和気藹々からピンチへ”、それが旅の始まり 

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。

喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/


第二十五回

――前回から、インドの旅について話していただいています。
いまも昔も、若者が一人旅の行き先として、インドは根強い人気がありますが、住職が最初の行き先にインドを選んだのは、どうしてですか?

住職:それはいろいろありましたね。
ヨーロッパに陸路で向かうのに、最初の地点がインドだったし。
お釈迦さまが悟りを開いた所に行ってみたいという気持には、とても強いものがありました。
本当はインドまで、飛行機でなく船で行きたかったんですけどね。

――それはまたどうしてですか?

住職:これ前にも言ったと思うんですが、当時住んでいた清和荘というアパートの西洋人たちに誘われて、ロシアのバイカル号に乗船し、横浜から香港まで船で行ったことがあったんですよ。

――はい。

住職:まあそんなこともあったし、飛行機であっという間に着くなんて、何だかカッコ悪いような気もして。

――、、、。

住職:「インド一緒にいかないか?」という誘いも、複数の人からあったんですが、一人旅でなきゃカッコ悪いと思っていたんで、断りました。

――「頼る人なんかいたらダメだ。」という、、?

住職:ははは、気負ちゃっているわけスよ。

――それで船旅になったんですね?

住職:いやー、船会社を調べたりしたんですが、インドまで行く船は見つからなかったんです。
「それなら、香港までまた船で行って、タイのバンコクまでは飛行機で行こう。そこから陸路で進もう」と考えたんです。

――なるほど。

住職:でも、ビルマには陸路で入れないことがわかって、地図を眺めながらため息をつきましたね。

――それでどうされたんですか?

住職:まあ、「せめて、、、」ということで、1番安かった、バンコク泊、ラングーン(給油寄港)を経て、ダッカに泊りながらカルカッタに入るという片道切符を買ったんです。

――そうですか、、。

住職:それは、パキスタン航空とバングラデッシュ航空の乗り継ぎ便でした。
さっそくハプニングがあったのは、パキスタン航空に乗った時。
イスラム教国の航空会社で、アルコールのサービスはなし。
また当時、パキスタン航空の客室乗務員は、男性だけだったんです。

――へえー!

住職:飛行機にアルコールは無しと聞いていた僕は、なぜか、水筒にウイスキーをいれて持っていったんですよ。

――お酒そんなにお好きでしたっけ?

住職:“別に、、何もそこまでは、、、”という感じなんですが、自分でも理由がわからない。
僕は、性格がアマノジャクなので、御法度と聞いて、きっといたずら気分でそんなことしたんでしょうけど。

――そうなんですか、、、。

住職:なにせ、みんなで赤信号渡っていたら渡らないけど、誰も渡っていなかったら渡ろうかな、と一瞬思いますもの。
子どもがいる時だけは、気をつけて渡らないけど。

――ははは、なるほど。

住職:なぜか僕が座った席が、2人のパーサーの前でした。
僕は座るなり、さっそく水筒のウイスキーをチビチビ飲みだしたんです。
そうしてふと見たら、パーサーの彼らも何だか飲みたそうにしている。
僕は「ははーん、イスラム教でなかなか大っぴらに飲めないんだな」と思ったので、彼らにも回して、一緒に飲みだしたんです。

――ははは、何だか光景が目に浮かびますね。

住職:いやー、今考えたらイスラム教もなにも、彼らは勤務中だったんですけど。
それで、「おまえ、隣の席に座る人は男性がいいか、 女性がいいか?」と聞くんで、何気に「女性」と答えたんですよ。

――そりゃまあ、そうでしょうね、ええ。

住職:そうしたら、乗り込んで来た西洋人の女性を連れて来て、「ここに座れ」と僕の隣に座らせるわけです。

――はあ、びっくりですね。

住職:僕は、まあそんなものかな? と思って、普通に彼女と世間話でも始めたんです。ヒッチハイクをさんざんやってたし、道中でいろんな人と関わるのには慣れっこでしたから。

――そんなものなんですか。

住職:世間話と言ったって、“日本で何やっていたの?”とか、“国はどこ?”とか、“これからどうするの?”とか、そんなたわいもないことです。パーサーたちと酒を回し飲みしながら、彼女も輪に入れて、飛行機のその一角は、和気あいあいという感じでした。

――飛行機に乗り込んだ途端に旅が始まった感じですね。

住職:雰囲気が変わったのが、飛行機がバンコクに近づいてからです。

――というのは?

住職:彼女が、「私今はそう見えないかも知れないけど、実は日本でモデルをやっていたの。
でも、日本での生活に疲れてウツになってしまい、引きこもって過食し続け、こんなに太ってしまった。
でもこれからは大丈夫。タイを旅した後、ロンドンに帰って、自分を取り戻すんだ」とか、自分の過去や悩みを打ち明け始めたんです。
僕はまあ、当時からカウンセリングの勉強もしていたから、ふんふんと、まあ一生懸命、共感的に聴いていたわけです。

――なるほど。彼女はちょっと気を許した感じですね。

住職:その辺りのやりとりを聞いていた、今や飲み仲間になったパーサーたちが、「おまえバンコクで降りて彼女とタイを旅して、それから一緒にロンドンに行け」とか言い出すんですよ。

――えー!?

住職:僕は、「いやでも、チケットはカルカッタまでだし。
今晩の宿は航空会社が用意していて、翌日には、バングラデッシュ航空に乗らなきゃまずいから、そんなのムリムリ」と言うんですが、パーサー達2人は、「そんなのオレたちで全部何とかしてやるよ。
ロンドンまでパキスタン航空が行ってるな。
チケットなんて何とでもなる。
大丈夫だ、ノープロブレムだ」と、大マジメに言い出すんです。

――酔った勢いでしょうか。

住職:しかも、「おまえたちはとても良いカップルになるぞ!」、「そうだ、そうだ」とか真剣に言い出す始末で。
いやー、参りました。

――はあ、何だかすごいカン違いというか、、。

住職:僕は当然、彼女の方も「何そんな冗談言ってるのよ」とでも言ってくれると思って、彼女を見たんですよ。助けてくれ、という感じで。
そうしたら、、、。

――そうしたら?

住職:何と彼女までも、ねえバンコクで降りてロンドンに行かない?
とか言ってくるんですよ。一瞬からかっているのかな、と思って見たら、突然じっと見つめてくるんで、こっちはあたふたと絶句。

――ははは、なるほど。で、どうしました?

住職:どうするも何もあなた。今まで囚われの身だったのが、5年かけてやっと自由の身になって旅に出れたんですよ。

――ええ、それもそうですね。

住職:自分を突き崩すような過酷な体験を求めて旅に出たんですよ。
それを一転して、飛行機の隣の席に座った女性とロンドンに行って、楽しく暮すっつうわけですか?
そんなカッコ悪いこと、とてもできないですよ。

――でも何だか笑ってしまいますね。

住職:あたふたするばかりで、何だかちょっと気まずいし、冷や汗かきながら降りた後で、飛行機の中にバイオリンを忘れて来たことに気づく始末。
すったもんだと空港で騒いだあげく、やっと受け取りました。
ずいぶん時間がかかってしまい、そのときは、ひとり深夜のバンコクで立ち往生。日本出たとたん、いきなり「ピーンチ!」でしたね。

――ははは。それでも東南アジアにやっと入った、最初の一歩ですものね。
次がミャンマーでしたか?

住職:はい、ミャンマーの空港のトイレから出たら、手を拭いてくれる係の人がいてびっくりしました。
ダッカに着いたら、空港からホテルに運んでくれるバスがなかなか出ない。やっと出たと思ったら、戦車が街を走り回っているんで、何だ!?と思ったら、軍部によるクーデターが起こった日でした。

――あらら、、。

住職:カルカッタ行きの乗客は、みんな一緒で、バングラデッシュ航空のバスが古いホテルに着いた。
すると今度は、そこのロビーで延々待たされた後に、レストランでの遅い夕食でした。

――そうですか、、。

住職:乗客は、だいたいが旅人っていうか、いろんな国から来たバックパッカーたち。
ただ、何人かは、すでに下痢で倒れていましたね。

――覚悟の上とはいえ、大変な旅の始まりになりましたね。

住職:それでも当時のバックパッカーたちは、みんな仲良しでね。
どこから来た誰であろうと、“オレもオマエも旅している”っていうだけで、友だちになっちゃう空気がありました。

――いいですね。

住職:世の中のレッテルとは無関係で生きている僕にとっては、“旅人”というアイデンティティだけがパスポートというのは、
とても居心地よかったですね。

――それは、わかる気がします。
今のタオサンガにもそんな所があって、私は、そこが好きなんですよ。

住職:そうそう、じゃないとつまんないし、、、。
それで翌朝のダッカの空港では、搭乗までの待ち時間に、誰かがギターを弾き出して、みんなでビートルズ歌ったりしましたよ。

――楽しそう。

住職:あの時代の彼らバックパッカーたちは、お互い助け合う空気が濃厚にあったんですね。
気負っちゃってる僕は、“誰ひとり助ける人のいない過酷な一人旅”をイメージしていたので、実は、ちょっととまどいました。
“え!?”
みたいな。

――ふふ、なるほど。

住職:でも、それで助けられて、かえって良かったところが大いにあります。
僕は初めてで、けっこうあたふたしていたし、カルカッタの空港に着いてから、税関通るのにやたら時間がかかったんです。
実は、お金が無くなったらインドで売ろうと思って、小さな日本の電化製品をいくつか持っていたりしたんで。

――へー、そうですか。

住職:でも、西洋人カップルが、“一緒に行こうね”と言って、外でじっと僕のことを待っていてくれました。

――へぇー。

住職:それで、インドの旅に慣れていそうな彼らとタクシーをシェアして、サダルストリートという、今でも定番の安宿街に行ったのです。

――とうとうインドに着いたんですね!

住職:行ったら、まるで異次元空間に迷い込んだみたいな感じでした。

―続く―