住職に聞く!寄り道篇(6)自己の”内なる犯罪者”と向き合う

和田寺の住職は、タオ指圧/気心道の創始者、音楽家など、様々な顔を持つ遠藤喨及(りょうきゅう)さんです。

喨及さんにインタビューして、さまざまな質問に答えてもらいます。
一体どんな言葉が返ってくるのでしょうか・・?

遠藤 喨及
東京に生まれ、少年期をニューヨークで過ごす。浄土宗和田寺住職、タオ指圧/気心道創始者、ミュージシャン、平和活動家、ゲーム発明家など、さまざまな顔を持つ、タオサンガ・インターナショナル代表。 1990年頃より、北米各地、ヨーロッパ各地、中東、オセアニアなどの世界各地で、タオ指圧、気心道、また念仏ワークショップ等を行い始める。 また、それらの足跡によって、世界各地のタオサンガが生まれ、現在、各センターは、仏教の修行道場、タオ指圧*気心道などの各教室、海外援助を行っている。 遠藤喨及個人ブログページもご覧ください。 http://endo-ryokyu.com/blog/


寄り道篇(6)

――“いつの時代においても、善人の顔をした良き市民の悪とは、他者の苦しみへの無関心”という、前回の住職の言葉に、いろんな事を考えさせられました。
善人の顔をした良き市民、、確かにこう呼びたくなる人が時々います。
 

住職:でもそれ言ったあとで、自分自身の中にもある善人面を認めないとフェアーではないと、反省しまして、、、。

――ははは。でも私、その言葉でいろいろと考えたんですよ。
たとえば、“他者の苦しみに無関心であることに無自覚な場合は、無意識から生まれる言い訳が無数にあるな”とか、“他者の苦しみへの無関心自体が、底なし沼のような救いのなさみたいに感じるなあ・・・”とか。

住職:いやー、たしかに全くその通り。

 ――ところで、アキハバラ通り魔事件のKも、いずれ忘れられていくのでしょうね。

住職:どうでしょうか? 犯罪史に残るような人は、時代の影を大きく映しています。
そして、ネット社会が内包する矛盾が解決しない限り、人々はその矛盾の影を Kに投影します。
だから、Kが忘れられることは、相当長い間ないと思いますよ。もっとも、死刑が執行されたら別でしょうけど。

――というと?

住職:死刑が執行されるということは、死をもって罪を償ったということです。したがって、法的な意味でも罪人ではなくなります。
そうすると、人々が彼に向けていた様々な投影は、行き先を失うんです。

――へぇー。すると、どうなるんですか?

住職:社会のカルマを背負っていた犯罪者が死んだら、そのエネルギーは、再び社会に帰って来て分散します。

――そうなんですか? 
だとすると、犯罪者から帰ってきた、犯罪を起こさせた社会の負のエネルギーは、あらたな人々に向かい、また別の犯罪者を作ったりするんでしょうか?

住職:負のエネルギー全部は戻って来ないですよ。被害者や遺族の苦しみ、またそれを乗りこえるような生き方によって浄化されますし、、、。
でも、犯罪者の懺悔や生きて償いの日々を送ることは、最も大きな浄化力があると思います。だから僕は、死刑制度には反対なんですよ。

――たしかに、死刑制度を廃止している国は多いですしね。
それにしても、被害者や遺族の苦しみ、また犯罪者の懺悔に浄化作用があるなんて、初めて聞きました。一体、それは、どういうことですか?

住職:仏教では宇宙大霊の仏さまが持つ働きを、十二の光明で説明しています。
その内のーつに「炎王光」という光明があるんです。これは、カルマを落としたり、断ち切ったりする働きのことです。

――宇宙大霊にはそういう働きもあるんですか、、、。

住職:仁王様の背中に炎があったり、刀を持っていらっしゃたりするでしょう?

――はい。

住職:仁王様は、炎王光を象徴しているんです。それで、業を焼く炎が背中にあり、業を断ち切る剣をお持ちなのです。

――なるほどねえ。

住職:苦しみを感じている時は、宇宙大霊が、「炎王光」の働きによって業を焼いて下さっている時でもあります。

――いわゆるカルマ落としというやつですか?

住職:まあ、そうです。あらゆる成長には苦しみが伴いますが、業が焼かれて霊的に向上する時にも、苦しみが伴うんです。

――だとすると、死ぬときの苦しみは、人生最後のカルマ落としなんでしょうね。

住職:はい。そして、業が焼かれて断ち切れた後は、浄化と美しさ、また、感動を与える清浄光が働くんです。

――ああ、だから「十二光を讃える歌」の順番では、炎王光の次が清浄光になっているんですね。

住職:はい。そしてその後は、喜びの光明である「歓喜光」を浴びるのです。
苦しみによる浄化とは、そのような働きのことを言うのです。

――そうだったんですか。

住職:浄化力という点からいえば、苦しみは受身的なものです。

――はい。

住職:しかし、「懺悔」は能動的です。
懺悔には、ネガティブ・エネルギーを積極的に浄化する作用があります。

――懺悔にエネルギー浄化の働きがあるなんて、知りませんでした。

住職:気ワークでも、はっきりと体感することができますよ。

――へぇー。

住職:さて、ある受刑者が、自分が殺めてしまった人の遺族に、刑務所から謝罪の手紙を出したんです。

――はい。

住職:もちろん最初、家族は読まずに捨てました。

――その気持ち、わかります。

住職:しかし受刑者は、毎日毎日、謝罪の手紙を書き続けました。

――、、、、。

住職:何年も、1日も欠かさずに謝罪の手紙を書き続けたんです。
そしてある日、とうとう家族が、封を開けて手紙を読みました。

――、、、。

住職:それから毎日、手紙を読むようになった。

――それでどうなったんですか?

住職:その家族は、受刑者と会うようになったんです。

――へぇー。

住職 : ついには減刑嘆願書まで出したそうです。

――受刑者の懺悔の気持が伝わったんでしょうね。

住職:懺悔には、ネガティブエネルギーを浄化するだけでなく、傷ついた人の心を癒す働きもあります。

――良い話ですね。
受刑者の懺悔が、遠隔地にいる遺族の、傷も癒したのでしょうか。
もっとも、このような受刑者ばかりではないでしょうが、、、。

住職:はい。「殺人を犯すべく生まれたのではないか」と感じさせるようなケース。
また、「この人は、悪魔に取り憑かれているんじゃないか」。
とか、「人類が根源的に持つカルマと同化して、殺人を犯しているのではないか」と思わせるようなケースもありますね。

――どのようなケースだとそう思われるんですか?

住職:実際にいる犯罪者ですが、自分の犯した罪に対して反省や懺悔といったものが全くない。
それどころか、殺人したことへの達成感や喜びを持っているようなケースもあるんです。
そんな犯罪者についての記事読むと、何だか、救いがないような気がしてしまいます。

――具体的には、どんな話なんでしょう。

住職:例えば、一生懸命、自分を世話してくれていた叔母や祖父を殺し、「2人を殺したことが嬉しいのです」などと、家族に書いている犯人とか。
その他、何の罪もない被害者を殺し、「殺した後は気分がよくて、体調も良くなった」などと、拘置所で語っている犯罪者もいます。

――うへぇー。懺悔や反省があるどころか、殺人を犯したことに対する喜びや達成感があるんですかー!

住職:そんな言動を知ると、さすがに、その犯罪者をどう理解して良いかわからず、思わず言葉を失ってしまいます。

――ということは、もしかしたら、二種類の犯罪者がいるのでしょうか?
時代の問題を背負って、犯罪を起こすべく選ばれた犯罪者と、本人の中にある、悪を行うべき内因(業)によって犯行を起こした犯罪者という、、、。

住職:うーん、果たしてそのような単純な区分けができるものでしょうか?

――たしかに、ちょっと疑問が残りますね。

住職:また犯罪者の中には、その生育歴などを知れば知るほど、「犯罪を犯すに至ったのもやむを得ない」と思わせるような人も少なくないのです。
その一方では、いくら考えても、「どうして殺人まで犯さなければならなかったのか、その必然性がまったく理解できない」と思わせる犯罪者もいるのです。
それで、時代の闇ではなくて、人類のカルマそのものを背負っているのかな、とかを思うのですが。

――なるほど。・・・それにしても、どのような思いを抱きながら、この先Kは生きていくのか、、、。
Kに限らず、重大な事件の容疑者や犯人に対して、そう思うことがあります。

住職:彼らのような、時代の闇を背負って事件を起した犯罪者に対しては、いろいろな想いが湧きますよね。
そしてそれを考察することは、自分自身の「内なる犯罪者」と向き合うことでもありますね。

――・・・善悪をテーマにした「住職に聞く/寄り道篇」。私にとっても、心の内面への深い旅のようなものです。

―続く―